私は自他ともに認める美人好きである。
そして、ブスが嫌いである。
正確に言うと、勘違いしているブスが嫌いである。
何故ならば、悲しい気持ちになるからだ。
平均以上のお顔をお持ちのあなたは、分かるはずだ。
おブスは変に美人や可愛らしい女性に対抗してくるのだ。
とっても困ったちゃんである。
ブスのぶりっ子ほど悲しいものはない
ブスとはなんと悲しいのだろう。
少しでも異性によく見られようと、可愛らしく振舞うものがいる。
甲高く声を上げ、少女のように振る舞う。
美人からみた感想はこうだ。
「痛々しい」
「ブスには変わりない」
「鏡みろ」
…美人は、ブスに厳しい。
だが、ブスも美人に厳しいものだ。
北川景子くらい美人でも、「別にそんなに可愛くなくない?」などと頭のおかしい発言をする者がいる。
恐らく、鏡を見たことがないか頭がおかしいのだろう。
そんなブスが一番毛嫌いするのは、中途半端な美人だ。
一般的には「可愛い」と表現されるタイプの女性だ。
そんな「可愛い」女性の事を、「ブス」な女性は決して可愛いと認めることはない。
認めようと、認めまいとブズがブズである事実は変わらないのに。
ブスとは不思議で、可哀そうな存在である。
そんなブスは、自身を「可愛い」と思い込もうとする。
美人には決してなれないことを、自覚しているからだろう。
だからこそ、「美人にはなれなくても、可愛くはなれる」と思うのだ。
間違ってはいないが、元から可愛い女性、美人な女性にはなれないことを、彼女たちは知らない。
いや、気づかないふりをする。
そして、今日も甲高い声を上げ、少女のように振る舞うのだ。
美人には、特別な人生が用意されている
私は、「美人には、特別な人生が用意されている」と考えている。
例えば、神様というものが本当に実在するのなら、美しいものをより美しい人生に仕立て上げたいと考えるのは自然なことだと考えるからだ。
最早、ブスなど視界にすら入ることはない。
私が神なら、間違いなくそうする。
誰だって、美しいものには魅了されるのが普通だからだ。
可愛いが正義ならば、美人は絶対なのだ。
ブスほど母性をアピールするという悲しい事実
ブスは不思議なくらい、子供に群がる。
赤ちゃんをみると、必ず抱っこしたがる。
そうやって、母性をアピールするしか女性らしさを異性にアピールすることができないからだろう。
とても、滑稽である。
子どもがくると、すごい勢いで群がる女性を見て不思議に思っていたが、顔立ちが整っている男性の友人が言っていたことを思い出して納得した。
「ブスほど母性をアピールする」
それ以来、ブスが子供に群がるとそういった目線でしか見れなくなった私がいる。
世のブスな女性たちよ…
イケメンは見抜いている…
ブス嫌いな女性は結構、いっぱいいる
このサイトにたどり着いたあなたも、恐らくブス嫌いなのだろう。
ブス嫌いは時々悩む。
お顔が整っていない女性を、「ブス!」「ブス!」と言いながら、“こんなことを思う私は、なんて醜いのだろう”と…
安心してほしい。
ブス嫌いは、意外と結構いるのだ。
だから、あなたにこう伝えたい。
「私ってなんて、性格が悪いのだろう…」
なんて、悩まなくてもいい。
美しいものを見て「美しい」と思う心も、醜いものを見て「醜い」と思う心も、どちらも素直な気持ちだ。
「醜い」も「美しい」も事実を感じているだけなので、悪口ではない。
ただの、事実なのである。
事実をありのままに感じているだけなのだ。
可愛いが正義ならば、美人は絶対!
美しさは、絶対なのだ。
時代により、美しさの定義が変わろうとも、美しさは絶対なのだ。
ならば、美人を美しいと感じる素直な心を認めてあげよじゃないか!
誰だって、本音を言えばブスよりも美人が好きなのだ。
それは男性も女性も変わらない。
美人は尊い!
コメント
私はドブスです。
子供に興味がなく声が低いためにぶりっ子もできません。
私は子供の頃から美人な子たちから長い年月いじめられていました。
今も夢の中でいじめられては泣いて目がさめます。
いじめっ子だった女性たちは今セレブや経営者になり幸せな生活を送っています。
私は人を虐めたことはありません。虐められたことがトラウマになり対人恐怖症になり、いろいろ苦労してきましたが結局対人恐怖症は治らず悲惨な人生になりました。
長年悪いことをした人が成功するのがこの世の中なんだと知り
絶望の毎日です。
今は事情があり勝手に死ねませんが機会が訪れたら自殺するつもりです。
そうですか。
私はブスにいじめられてきたクチです。
いじめられた後、どうするかは自分の選択なので、どうもできませんがいじめられっ子として気持ちは痛いほどわかります。
私は、いまの自分は過去の自分の選択の結果と考えているので
あなたがこれから幸せを感じれる選択をとれるよう願っています。