自分の常識は非常識?人生を生きにくくしているのは、結局自分。

考え方

こんにちは

しのさんです(´▽`*)

 

私は日ごろから、自分の考える常識=自分の正義という定義で発言をしています。

だって、自分が正しい、と判断し、それを当たり前に行っている状態が「常識」なのです。

 

ちなみに、コトバンクでは以下のように解説しています。

世界大百科事典 第2版の解説
じょうしき【常識 common sense】

常識(英語でコモン・センス)とは,もっとも普通には,われわれの間に共通の日常経験の上に立った知,一定の社会や文化という共通の意味のなかでの,わかりきったものを含んだ知であると考えられている。つまりこの場合,それは,あれこれの立ち入った専門的知識にくらべてありふれた知識,また,厳密な学問知にくらべてあいまいさを含んだ日常の知だということになる。ところで,このようにとらえられた常識を〈出発点〉としての常識というならば,それに対して〈到達点〉としての常識と呼ばれるべきものがある。

豆知識として、「常識」という言葉は明治時代にできたそうですよ!

つまり、それ以前はそういった概念は無かったんですね。

結構、新しい文化です。

 

何が言いたいかっていうとですね、あなたの常識は、隣の非常識になりうるということです。

 




 

いったい、何が常識なのか?

 

割とみんな、「自分は正しい」と思って生きています。

それはきっと、間違ってはいません。

例えば、出社時間1時間前に出勤するのが常識の人もいる。

しかし、出勤時間ギリギリに出社するのが常識の人がいる。

私は、どちらも間違っていないと思うんですね。

一般的な常識と照らし合わせると、恐らく前者が「常識」として正しいと判断する人が多いのではないでしょうか?

 

それは何故?

「常識」だからですか?

 

そうとらえて行動しているのなら、自分がない人間になってますよ。

考えることを、放棄してしまってるのだから。

 

仕事に関する考え方だって、「自己成長のため」「出世のため」「プライベートの充実のため」「お金のため」「家庭のため」などなど…

どれを念頭に置いて働くかによって、働き方って変化しますよね?

そして、それのどれもが間違っていない。

 

常識って、自分次第なんですよ。

どれも間違っていないからこそ、他人に自分の常識を押し付けちゃいけない。

 

 

他人に自分の正義を押し付けてはいけない

私がまだギリギリ10代の頃の友人で、彼氏と同棲していた女の子がいます。

友人の彼は夜の生活の時に、避妊を怠るタイプの人でした。

しかも、「今月も生理来たね!よかった!」と毎月発言し、友人に妊娠してほしくない様子。

なのに、避妊しない。

友人も、彼氏の上記の発言に怒っているのに、友人自身も避妊をしようとしない。

私は二人の性に対する適当さに、友人をいつも叱ってました。

「自分で避妊をしなさい!」「彼に避妊をするように言いなさい!」「もう、いっそのことそんな彼とは別れなさい!」

 

…完全に、自分の正義の押し付けです。

私の考えに、賛同してくれる人は、多いかもしれません。

でも、友人にとっては迷惑でしかないのです。

避妊をするよりも、彼氏と別れるよりも、このままの生活を続けることの方に彼女はメリットを感じていたからこそ、私の言葉は無視されているのです。

 

私は解ってもらえなくて苦しかった、でも友人だって、理解してもらえなくて苦しかったはずです。

自分の正義を押し付けるということは、自分も、他人も苦しめる結果になるのです。

だって、一人ひとり状況も考えも立場も違うんだから、正義もそれに合わせて変化するのは当たり前の事なのです。

 



 

分かり合うのではなく、認め合う

 

分かり合うって、ほとんど不可能ですよ。

私と、あなたは別の人間なんだから。

分からなくて、当たり前なんです!

だからこそ、「そういう考えもあるよね」ってみんなが認め合えばいいんじゃないかな。

自分には自分の正義があって、あの子にはあの子の正義がある。

どれも間違ってないからこそ、認め合う。

そういう社会になったら、みんな生きやすくなるよね。

 

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